頼
忠
兼
通
道
隆
道
兼
道
長
詮
子
超
子
道
綱
兼
家
道
綱
母
公
任
VS
③
①
②
死
の
直
前
関
白
を
ゆ
ず
る
タ
ナ
ボ
タ
関
白
三
舟
の
才
母
の
愛
①
藤
ふじ
原
わらの
兼
かね
家
いえ
平安時代に 息子に道隆、道
)、詮子 (一
条帝の母)などが
藤
ふじ
原
わらの
兼
かね
通
みち
との権力
争いや、息子道兼と共
かれている。②の道綱母
浮気者として描かれている。
②
藤
ふじ
原
わらの
道
みち
綱
つなの
母
はは
女性が書いた初めての日記
『
蜻
かげ
蛉
ろう
日
にっ
記
き
』
の作者。夫は藤原兼
家。浮気者の夫への恨みつらみや、一人
愛を主につづっている。
③
藤
ふじ
原
わらの
公
きん
任
とう
貴族男子の教養である 「和歌・管弦・漢詩」 がすべ
藤原兼家は 「息子たち (道隆・道兼・道長) に公任の
能があればいいが、彼の影さえ踏むことができないことよ
と嘆いたところ、道長だけが 「公任なんかに負けない、影の
代わりに
面
つら
を踏んでやる!」 と意気込んだという話が 『大鏡』
に書かれて る。また 「
三
さん
舟
しゅう
の才
」 の話も有名。道長に 「
和歌
」
「
管弦
」 「
漢詩
」の三つの舟のうち、どの舟に乗るかを尋ねら
れた公任は、 和歌の舟を選んで素晴らしい和歌を詠むが、
「男
として最高の栄誉である漢詩の舟を選んで漢詩を詠むべき
だった」 と悔やんだという。アンソロジー (撰集) として 『
和
漢朗詠集
』 がある。
古
典
常
識
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274
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藤原兼家 人物関係
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